2006年02月23日

記号の意味。

切羽詰真瑠なんてのは当然だが本名じゃない。
名前なんて記号だけど、記号にだって意味はある。

物理に使う記号だってアルファベットなら何でもいい訳じゃない。
何か意味ある言葉の頭文字だったり、そのものに意味はある。

名前も記号なんだから意味がある。
それは漢字が持つ意味じゃなくて、その名前である意味。
形としての意味ではなく、その記号である意味。

つまり何が言いたいかって言えば。
此処で書いている自分は、自分であって自分でないってこと。





理解はしているつもりだ。
自分が一体どういうものに成りすましているか。
もしくはどういう存在として居ようとしているのか。
当然、それをどういう風に感じるかなんてものは人それぞれなんだから。
あくまで基準が自分であることを理解と言うのかは謎であるが。

だからどういう風に見られてるかは別として。
出そうとしている自分と、自分は別の人間なのだ。

例えば。
此処で自信を持って言える事や、自分の持つ本心を綴ることも。
いつもの私であれば、何も言わない。

問われていることが、明確に聞こえるか聞こえないか。
全てが曖昧に聞こえて、それは一体何に大して何を言っているのか。

これが良いか悪いか、自然か不自然か。
そんなことなんて言うのはやはり1人では分からない。

しかしまぁ。
事実私はその現実の私が嫌なわけで。
感じることすら曖昧で。
何かを表現しようとすれば上手くいかず。

だからまぁ。
私がまだ少しは良く表現できる方法で表現して。
一番理解がしやすいものを選び。
自分がこれで良いと思える状態の言葉を綴る。
それが出来る場所で自分を表現しているだけなのだ。

しかし、当然。
同じ人間でもこれほどに差が出来る。
理想を描こうともそれには近づけない。
努力?
一体何を努力すれば良いのだ?
天才とは何を努力するか知っている人のことを言うらしい。
それを平等に自分が理解しているから他も同じ。何処かしらそう思っていないか。
結局私は大多数に負けた天才とは真逆で、少しずれたところに居る人間なのだろう。

まぁ。
自分を卑屈にしたって仕方ない。
結局この場で文字を書いてる私は。
理想として描いている自分であるのか。
どこかその理想を諦めかけた自分なのか。
どっちであるのかと。
その答えが出ずに問いたいだけなのだ。
それすらも解りやすく書けない自分でさえ理想と言えるのだ。
自分自身がどれだけのものなのか…。

まぁ、いい。

私は常に狭間にある。
自分と切羽との間にいる。
もしくは常に揺れ動いている。
その存在、それ自体が中途半端主義。
posted by 切羽詰真瑠 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 情緒不安定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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