2006年04月03日

人の苦痛も自分の苦痛も

人の不幸は蜜の味などと言う台詞はとことん信じられない。

確かに、悪行を何度も続け反省もないような輩が不幸になれば、自業自得だとか笑えるかも知れないが。

基本、他人の不幸なんかで幸せな訳が無いのだ。
当然、その人が身近なら身近なほどにその味は蜜の味なんかより遠のいていく。

ああ、くそったれ。
この味は嫌なものを無理に食べて、吐いて。
胃液が混じって酸っぱくなった喉を焦がすような苦みじゃないか。





自分が誰かを救えるなんて思うほど自惚れてはいない。
自分でも自信が少なすぎると思うほどにその心はない。

それでも、誰かが苦しめば自分に何かできたのでは。
そんな風に考える。

ひょっとしたら、何か出来たのかも知れない。
そう、何かは出来たのだろう。
しかし、それは救うことだろうか?
寧ろ傷つけるのではないのだろうか。
その口を焦がした苦さを帯びた口から出る事など、苦みしか無いのではないだろうか?

結局は自分の出来なかった事への言い訳、言い逃れ。
単に無力という言葉を自分に押しつけて出来なかったことにしているだけ。

やっと気付く。
ああ、また逃げたのか。

溜息ひとつ。
残るのは嫌悪だけ。

そして分かっている。
これもまた嫌悪を振りまくだけ。
自分を救わず。
ただ、周りに痛みを伝えるだけ。
苦みを共有するだけ。

でも少し分かって欲しい。
これでも随分隠してるんだってことを。
我慢してガマンしてガマンシテガマンシテ
あふれた気持ちだけを、キーに叩く。

当たり前だろ、隠してたら気付かれないんだよ

知っている。
でも知らせることは苦痛の共有。

結局。
出来ることさえやるかやらぬかも決められず。
優柔不断に世界を眺め。
悪循環の抜け道を選んで、決めず、流されて。
この更なる混沌の循環に身を任せる。

見せるのはどす黒いその流れに身を隠して。
顔を出して余裕そうにしている部分なのだ。
そしてこれはちょっと苦痛に歪んだ瞬間なのだ。

誰も助けられなかった自分が、誰かに助けてもらおうとは思わない。
だか、どうか。
知って欲しい。
どうか。
汚れてもそこから出てきたら一声掛けてやってくれ。
それが自分でも、違っても。

だから自分はこうしよう。
助かった人に。
「よう。」
軽々しく。
「良かったな。」
そんな風に声を掛ける。
そう言う人になろう。
それが私の中途半端主義だと祈りつつ。
posted by 切羽詰真瑠 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 情緒不安定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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